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2010年3月19日 (金)

サブカルチャー vs 青少協

「非実在青少年」問題とは何なのか、そしてどこがどのように問題なのか?まとめ
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100319_hijituzai_seisyounen/

Gigazine は、理屈っぽ過ぎますね。ネタの素になるサブカルチャーを維持したいというのが、大前提にあるんでしょう。

何らかの尊い存在を目標として人格的な向上心を持つか持たないかで、人の間には違いがあると思うわけです。主に、教育者や信仰者、治安維持関係者が前者の立場を取るのに対し、マスコミ、マスメディア、芸術関係者、その大衆文化の消費者であるサラリーマンは後者になりがちです。

この両者でいつもぶつかるのが性的表現なのですが、これは表面上の問題に過ぎません。後者は、セックスという本能に忠実なことが人間的なのだと信じて疑わない人たちです。その下世話さは‘フロイトの奴隷’といってよいでしょう。つまり、精神性や人格の向上なんか目指すも目指さないも俺の勝手だというわけです。この点において、人としての社会的進化を自ら否定してしまっているのが問題の根底と言えます。

一方、前者にも「目標とする存在とは何か」を明らかにできないというジレンマがあります。不自然なほど聖人に溢れている諸外国の現状に、日本人としてはついて行けないと思うのは無理からぬことです。はっきり言えば、裁くのは一体誰なのかがわからないから不安なわけで、(戦前の天皇の代わりになるような)高貴な存在を未だに見つけられない、もどかしさが漂っている気がします。

現状では、やはり一線を越えちゃっている人は、芸術的とはいえ大勢いられたのでは社会が成り立たなくなると感じています。また、アニメやマンガの心理表現も以心伝心的なものが多く、言葉を尽くして理解を求めるものが少ないとも感じています。もう少し高尚なものにもチャレンジして欲しいところです。

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