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2013年9月22日 (日)

中庸を目指す

ヘイトスピーチデモ:無関心が生む差別 外国人記者に聞く
http://mainichi.jp/select/news/20130710k0000m040122000c.html

 結局、今の日本の問題は『中庸』のことを中途半端と思い込んで、捨てかかっているということなのだろう。 確かに様々なことでひどく悪しく言われ過ぎもあるが、だからといってその対応手段に同じことや更なる醜いことを用いてよいはずはない。 因果の道理を多少なりとも理解するならば、客観視も可能だろう。
 強面(こわもて)を全面に出すことで、まとわりつく制限を緩め、行動の自由度を上げるというのはままあること(要は本気じゃないハッタリも使うということ)だが、どうにもそれとは違う種類のブレーキが完全にぶっ壊れた人間が台頭してきている。 そしてそれを利用する(利用できているつもりの)政治家・宗教家と国民が増えている。
 右端と左端の政党が人気なのも、目標がわかりやすい(ということになっている)からだろう。 確かに中間は無数にあり、どこがベストバランスなのかわかりづらい。 しかし、その迷いや苦悩を放棄すること自体が正しいとは私には思えない。 『難しいこと』はポテンシャルを持っているということであり、辿り着くにはエネルギーを必要とする。 それが目に見えない信用となり、容易に崩れない安定社会を築くのに大事なことなんだろうと感じる。
 昨今の社会は、極端に振れなければ時代や世界を生き延びられないとか、何かを捨てなければ何も得られないだとか、そんなセリフに飛びつく。 やたらにイノベーション(技術革新)だとか、インセンティブ(成功報酬)だとか、そういう言葉に躍るのもそう。 即断即決を求められる効率主義が幅を利かせる現代において、やるべきことより目新しいだけの話に誘われやすくなっているのは間違いない。

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