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2013年11月 9日 (土)

民間人の犠牲がどこまで許されるのか

以前から気になっていた『明日への遺言』をDVDで見た。
 岡田資の部下を庇う高潔さを私はあまり持ち上げたくはない。 それは軍人として当然すぎるからだ(まあ、こう思うのは私が日本人だからなのかもしれない)。 それに、組織の長だけが戦争犯罪の防止能力を有したわけではないこともある。 部下において無能を演じていれば、犯罪責任が生じないかのような話ではおかしかろう。 法であれ、軍規であれ、人の作ったものならば変えるのも人だ。 実際、彼らはそれなりに処分されている。
 無差別攻撃に対する米兵の処刑の正当性を巡っては、岡田中将は「復讐」ではなく「処罰」だと言い張った。 復讐ならば(アメリカ法上)岡田自身は罪を免れる可能性が出てくる。 しかし、部下を庇うためには、あくまで処罰として命令実行されたものでなくてはならなかった。 戦時下の逼迫性をたてに略式手続きによる処刑を正当化しようという試みだが、これは無理というものだろう。 それを言うなら、日本は初めから国際法を認める(加盟する)べきではなかったことになってしまう。
 他に印象に残ったシーンは、「戦力を削ぐ行為は戦犯なのか」という検事側の質問。 これには、無差別の正当化も含んでいるように感じた。 実際、民間人を標的にしてはならないと言っても、兵站や兵士を供給するのは民間なのだから、全く無視してよい存在とは言えない。 だから、一旦戦争になればきれい事では済まされない面はある。 岡田中将もそれを知らないはずはないが、建前論で真っ向勝負したように見える。
 日本が降伏したのは、米軍のやり過ぎによる民族滅亡の危機を陛下が感じ取ったからに他ならない。 米軍を紳士的と見込んだわけでは、決してないだろう。 だからこそ、核投下をはじめ今なお米軍の過度な無差別攻撃は非難される。 一方、自らは占領国に対し無差別攻撃をしなかったかのようなことを言う人がいるが、現実から目をそらし過ぎではないかと感じる。 どの程度なら民間の犠牲が許されるのか、理想論に終始しない現実的な解を見つけなければならないだろう。

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