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2018年12月16日 (日)

混ぜるな危険、宗教と政治

首相の支持基盤、揺れる神社界 総長反発「改憲潰しだ」:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASLCY52X9LCYULZU00P.html

 なぜ神道が政治に口を出すのか。 それもなぜ9条改憲を企むのか。 敗戦によって一度は国家への干渉を断たれたかのように見えた神道が、靖国を足がかりに再び国家神道の復活を目論んでいるのは、わからんでもない。 しかし、なぜ9条まで憎むのか、そこに至る理由が無い。 日本が軍事政権になれば、国民のテリトリー意識は強化され、神道による人心支配と相まって鎖国が誕生する。 だが島国の国境の壁なんぞ、誰が望むだろうか。
 神職が天皇を血縁で縛り囲って傀儡化させ、その威光を利用して国民を狂気に駆り立てる。 日本の歴史だ。 彼らにとっての平和とは、兵力による平定後の特権を持った人間が君臨する世界に他ならない。 布教したいなら、好きなだけやるがいい。 しかし、政治権力を利用しての信教強制は神力のよるところではない。 むしろ、天や因果応報を待てずに自ら手を下すしかないのは悪鬼羅刹の入れ知恵だろう。 それは共産党という名の独善集団と大して変わらない。 「神仏を否定した人間の最高峰」と「神仏から託された特別な人間」と、どちらがマシかというより、どちらも御免こうむりたい。
 ちなみに保守と呼ばれる政治家が神道に属する理由は、テリトリーを絶対善とした国粋主義者か、国の行く末より人気を追った利己主義者が大半だと知るべきだ。 少なくともこの2者を見極めて排除する仕組みが、自民・維新には存在しない。 利己主義者による平和とは、戦争を経験し争いに飽きた人が過半数存在するわずかな時代に過ぎず、煽ってみたら壊れる程度の存在なら維持する気もないのだろう。 どんな時代でも生き抜くためにタブーや自制なぞ設けない、変節する連中だ。 普遍性を求める宗教とは本来、混ぜてはならない。

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