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2018年12月10日 (月)

出産は基本的人権ではない

官僚も指摘した「人権侵害」 平成まで放置し続けた日本
https://www.asahi.com/articles/ASLCR6VQ7LCRUTFL00G.html

少々やり過ぎではないのか、朝日新聞。 過剰な人権意識は、答えられえない期待を増幅させ、遂には国家破綻させる。 社会弱者を厚遇し過ぎると逆に「彼らがいなければ」という思考に拍車をかける。 社会保障費を決めるのは存在比であって、基本的には厚遇も冷遇も無し。 モメたときは、いつでもそこに立ち帰れるようにしておくべきだろう。

  • 優先して裁かれるべきは旧優生保護法からでさえ逸脱した医療行為であって、法自体の問題とは区別するべき
  • 旧優生保護法自体の問題は、人口背景や人権意識の浸透などを考慮するべき
  • 旧優生保護法の制定責任は政府ではなく人権意識が育っていなかった国民にある
  • 憲法上守られるのは基本的人権であって、すべての人権ではない。そして出産は基本的人権ではない。
  • 現行法でも子育てができないと見込まれる精神疾患者・知的障害者への合法的な避妊手術は存続しており、そこまで否定する過剰な人権配慮は問題の争点を混乱させる
  • 高度な人権国家を目指したとしても、経済的にできもしない救済を謳うことは社会不安を増すだけの愚策

 旧優生保護法制定当時は今とは社会状況がまるで違う。 その最たるものが人口増減だ。 戦後であってもあまりに人が増えすぎ、中南米の未開拓地に移民を送り込んだりした時代。 あらゆる理由を見つけて産児制限をしなければならなかった。 人が減りすぎて過疎化を招いている今の時代の人間が過去の行為を誤ちと蔑むというなら、今の時代の傲慢ぶりをよく表している。 それは隣国の法遡及と何ら変わらない醜さ。
 当時噴出していた公害問題でも、多額に上っていた損害賠償や補償費に政府は困窮し、司法に忖度させて国家責任を回避した。 「政府が」と言うが、その実は国会議員であり、それを選んだのは紛れもなく国民だ。 報道も含めて、当時に「異議あり」の声を上げた人はほとんどいなかったというのに、政府だけを名指しして後出しで英断を要求するのは、現代の国民自身が何によって生きながらえているのかを全く理解していない証左だろう。 自分の系譜が純粋無垢で形作られている思いたがるのは、人の傲慢。 特にインターネット普及以降の世代は、昔の日本の苦悩を知らず知らずに得意げに美化・悪口しがちだ。

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