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2019年4月20日 (土)

いじめの構造

News Up “日本に戻らなければよかった” | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011889021000.html

私は、いじめには「ボス争い」と「椅子取り」の2つがあると思う。

 「ボス争い」は昔からあって、誰がクラスの雰囲気を主導するのかを争うもの。 これは生存本能とも言えるようなもので、おそらくどこの地域・学校・時代でも発生しうると思っている。 ボスが誰であるかを認めさえすれば、それ以上は争わないのがミソ。 もっと大きいシマを狙うためには、手下を増やす必要があるから、負かした相手を排除しない。 ボスが他のやり過ぎを諫めることもする。

 これと比べて「椅子取り」とは、居場所を集団で奪うリンチ行為。 死ぬまで追い込むという一線を超える。 これはゲーム感覚が災いしているふしがある。 死んでもリセットで生き返ると何となく思っているから、限度を知らない。 先達である政治家を見れば数の論理が横行しているし、教師・教委は事なかれ主義で警察沙汰にならない限り加害側を学校から追い出そうとはしないと知っている。 一方、自殺する側も死ねばリセットできると思っているふしがある。 この世で持ち越した問題を、来世でまた味わう可能性について思い至るなら、もっとやれるだけやってみようと思えるはずなのだが。 また、親を残して先に逝くことを叱ってくれる存在がいるかどうかでも違ってくるだろう。

 都市部は嫌なことから逃げ込める校外の余地を見つけやすいのに比べて、郊外・田舎では転校さえままならならず、逃げ場を失う。 クラス人数が少ない分、教師は目を光らせるべきだと私は思う。 それがウェット感が災いして田舎では体罰教師が未だに残ってしまう遠因にもなるわけだが、それは別の話。 基本的にいじめをなくそうと思うなら、どこがやってはいけない・口にしてはいけない・考えてはいけない一線なのか、共通認識を持つことが大事だと思う。 また学校はいじめグループを塊のまま放置することは厳禁だ。 加害側を強制転校させる制度があってもよいと思える。 今現在いじめられているなら、自分と同じ目に遭う子が出ないよう、社会改革を担える存在を目指してほしい。 死ぬのはそれからでも遅くはないだろう?

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