教育・道徳

2017年1月 1日 (日)

犯罪者に課す刑罰以外の道

年明け一番、重い話ですみません。

(裁判員物語)「出所後また殺す」死刑望む被告に戸惑い:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJCS0NVDJCRUTIL03K.html

裁判で「死刑にしろ」と毒づく被告がたまにいる。 彼らの多くは、統合失調症などの精神疾患ではないと私は考えている。 何が法的に罪に当たるのかを知った上で犯行に及んでいることから、知能に問題がないからだ。

だが、それ故に罪深い。 ここで書いた『罪』とは損失への賠償責任や社会に与えた動揺のことではなく、心の闇のこと。 賠償責任という意味の罪であれば、犯罪行為に応じた刑罰を受け、被害者やその遺族への賠償を支払うことで終える。 社会的な償いであれば、(たとえ改悛が無くても)多くの人を救うことに何らかの貢献することで果たされるであろう。

だが、心の闇の方は違う。 これに厳罰を課して口を封じても、本質的な犯罪防止にならない。 社会への不満の正当化とくに理不尽の公平化は、直接犯罪者同士が知り合うことなく、共有状態にあると言ってよいからだ。

死刑を以てして被告を消し去っても、犯罪遭遇率は減らない。 にもかかわらず、感情から極刑を望む被害者遺族も少なくない。 誰も救われない中途半端な地獄である。 これを脱するには被告から改悛を引き出す以外に無かろう。

育ちが違うと矯正は徒労に終わるとあきらめてよいのだろうか。 愛情とは低年齢時にだけ後天的に取得できるものなのか。 あらゆる医学・心理学・教育学・生物学を総動員しても、精神疾患でもない逆恨みの犯罪者を真人間に生まれ変わらせることは、それほどまでに難しいというのだろうか。

洗脳と言うと拷問を伴う調教や薬物を使った依存症の利用を思い浮かべるかもしれない。 しかしながら、広義の意味での洗脳は私らがお互いにコミュニケーションという名でやっていることだ。 人ひとりを全く違った社会環境でどれだけ作り変えることができるのか、本当に研究をした人がいるのだろうか。 人類・国家はもっと次元の高い挑戦を始めるべきだと思わずにはいられない。

>>追記

受刑者が犬を世話する刑務所ペットホテル、ポルトガル:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3107245

人には素直になれなくても、動物ならそのタガを外せる場合もあるだろう。 更生不能と法的な罪の重さと必ずしも一致しない。 厳罰化が進められた間に、どれだけ更生方法の開発が進んだのか。 過密人口時代なら、犯罪者の将来など気にせずに泡沫と消えてもらって構わないところだが、今は地域社会に貢献できる人材に事欠く時代。 一人でも多くの落ちこぼれを防がなくてはならないため、烙印を押す人間の数を最小限にとどめるのは、被害者を含む社会全員の義務だろう。 例え、犯罪者が与えた損失が唯一無二なものに対する不可逆な行為だったとしても、別方向・別次元での補填の道を探るべきではないのか。

2015年2月22日 (日)

反省教育70年後の崩壊

「殺害された後藤健二さん、解放交渉の会社で戦場訓練」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2426552.html
この会社による水面下の交渉についてビルト氏は、安倍総理が中東訪問で2億ドルの人道支援を表明し、「イスラム国」が脅迫ビデオを公開した後に、事実上、終わったとみています。

交渉専門家が首相発言が殺害に影響したと見ているのに、日本国民は「安倍氏はよくやった」と言う。
 現実が見えなくなっているこの状態は、やはり国粋主義者によってマスコミの半数や政府が乗っ取られていると判断される。 日本の戦後教育の至らなさもあるのだろうが、教師を教科学習指導者の地位に押し止め、思想教育者としての立場を70年かけて剥奪していった政府に原因がある。 安倍氏の恩師も「人の声に耳を傾けるように」と度々苦言を呈しているが、蛙の面にションベン。 『師』とは思っていないのだろう。

2015年2月16日 (月)

安易な風刺成敗

風刺はどこまで許されるか
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO82528270Z20C15A1000000/
――ちなみに、フランスでは、イエスも、モーゼも結構、風刺画の対象になっているのですよ。
 その後のフランス革命などを通して、キリスト教圏では、政治と宗教は別であるという考え方ができあがった。政教分離になることで、キリスト教の場合、宗教は個人の心の問題として受け止められるようになりました。

 これは中央公論に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」の内容が天皇を侮辱しているとして、右翼が同社社長宅を襲撃してお手伝いの女性が死亡するという事件が起きたのです。
 それ以降、天皇のことを取り上げて問題になると、右翼の襲撃を受けるのではないかと、考える人が増えた。天皇や皇族を批判的に取り上げるのをタブー視する傾向が強まったのです。

――弱い立場だと思っていた人々に社会的同情が集まった結果、その人たちが強い力を持ち始め、権力者になってしまう場合もあります。どこからなら批判や風刺の対象とできるのか、グレーゾーンの判断になってしまいます。

日本人の少なくない人は、侮辱されれば相手を殺しても構わないと思っているのではないか。
 私の心の奥にも怒りの感情を抑制できるかどうかわからない部分があることは認める。 しかし、それを表立って正当化するべきではないと思っている。 DVや車内暴力や今回のような宗教テロというのは、弱者を守る手段ではなく、単なる不満の捌け口に過ぎない。
 アラーやムハマンドが異教徒を殺せと命じたのであれば、これは逆の立場からすれば同様の論理でイスラム教徒は殺されても仕方がない。 そうではないだろう。 布教せよと命じられて、布教すべき相手を殺しては元も子もないというものだ。 神仏に近づきその立場になって物事を考えれば分かりそうなものだが、単に神仏に褒められたいという思考で行動していてはどこかでとち狂う。
 天皇を風刺したら、した者を殺せばよいというのでは、これは天皇自身が嘆くであろう。 ありがた迷惑以外の何物でもない。 国王・天皇の風刺について言えば、その行動(無作為を含む)で判断するべきで、“するべきだ”とも“してはいけない”とも言えるはずもない。 漫画やアニメでは王はカリスマ的で格好よく描かれているが、当人にとって下手な持ち上げ方をされるのもギャップを生んで困る。
 歴史上実在した人物について、処女懐胎とか、排泄しないとか、言い出されるとそれはもう人のお手本とは成り得ない。 特にそういう非人間的な部分を風刺の対象とするのは、私は表現の自由として認められるべきだと思える。

2015年2月14日 (土)

子ども冤罪

大分・コンビニ:「万引き」届けた小学生6人を犯人扱い
http://mainichi.jp/select/news/20150214k0000e040203000c.html
コンビニの経営者が児童と保護者を呼び出し「破って中のカードを盗んだだろう」とただした。

トラウマになるな。 割りとありがちな話だが、こういう謝罪は親ではなく、きちんと子ども本人にしないと、後々精神的に尾を引かれることになる。

2015年2月12日 (木)

生命倫理観が疑われる中国の生産方式

ザラ親会社、アンゴラ販売を中止 中国の生産法を愛護団体が非難
http://www.afpbb.com/articles/-/3039226

動画を埋め込もうと思ったが、酷すぎるのでやめた。

18禁
The Truth Behind Angora Fur - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PtAFHyXS31M

これはないなぁ。 とてもうちのロップには聞かせられない鳴き声。 バリカンの方が速いと思うし、なぜ苦痛を与える必要があるのか、理解に苦しむ。
 野生に近い環境で狩猟生活を送っていた人が、都市産業化に伴いそのままのスタイルで大量生産をはじめたのだろうか。 初期投資(イニシャルコスト)を抑え、元手なしで金を手にできる安易な手法であって、糾弾されてしかるべきだろう。 それとも、文化大革命時の廃仏毀釈のせいで、命の境涯に想いを馳せる人間性まで退化してしまったのか。 日本でアンゴラ毛糸を売っているとこは、こういう生産方法を区別して輸入して欲しいと願う。

2015年2月11日 (水)

悪ふざけの代償

97度熱湯の上で男児抱え、足滑らせ落とした男
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150210-OYT1T50169.html

本当にこんな人間がいるのか。
 あまつさえ、裁判で争うとは考えられない。 聴取当初は言い逃れの嘘も付いていたという。 10歳ともなれば、小学校4,5年生で、自分の身に何が起こっているのか分別がつく歳だ。 恐怖の中で、もがいたに違いない。 親にしてみれば、傷害致死でもまだ刑が軽いくらいだろう。
 私には、中学の時に友人に、プール内でふざけてプロレス技を連続で掛けられて、かなり困惑したことがある。 それ以来、そいつと付き合うのは止めたし、今でも簡単には許せる気にはならない。

2015年2月 2日 (月)

パクリDNA

【ビジネス解読】超先進中国「シャオミ」に盗作疑惑 日本ベンチャー激怒「提訴辞さず」 中国企業のパクリDNAは変えられない
http://www.sankei.com/premium/news/150202/prm1502020001-n1.html

中国はどこかでキッチリ付けを払ってもらわにゃならん。
 ガキ(餓鬼)がそのまま歳ばっかりくったようなものだ。 人の心の痛みを知る教育が間に合わなければいずれ旧日本帝国と同じ道をたどるだけ。 そうなるように仕向ける一部日本人はいるが、断末魔の飛び火はこちらにも来るのだから、とんでもない間違いだ。 中国に自浄能力を持たせられることに越したことはない。

2015年1月24日 (土)

軍国少年

Raqqa: The Islamic State capital | Reuters.com
http://jp.reuters.com/news/pictures/rpSlideshows?articleId=JPRTR4CTS9#a=5

私が嫌悪する場面が写っている。
 ISに支配されたラッカにいて笑顔を振りまく、ありふれた少年たちだ。 凄惨な場面でも何でもないが彼らの未来は真っ黒に思える。 強きに憧れ、自画自賛の流れに身を任せた軍国少年たち。 遊び友達が顔を合わせれば、自然と大人の顔色をうかがう行動に出る。 極普通の光景であろう。
 でだが彼の地だけに限った話ではない。 我らの周りでもネット友達が顔を合わせれば、政府の顔色をうかがう行動に出る。 それが出世の近道だったり、生産効率の向上だったり、様々な援助・恩恵の手段だったりするのだろうが、ラッカの少年同様、敵を決めつけ彼らからすべての正義を奪うことを厭わない。 戦後から今までの日本における教育では、マンネリやエゴを克服できず、『愚直』の価値を喪失している。 プライドをくすぐられて道を踏み外すような精神性なんて戦中と大して変わらないのではないかと不安になる。 それをこの写真はまざまざと見せつけるのだ。

2015年1月16日 (金)

中学校長

いじめ相談に校長「死ねば対応」 大阪・守口の中学校
http://www.47news.jp/CN/201501/CN2015011601001306.html
母親は校長との面会で、「死んだら終わり」と母親が抗議しても「校長は生徒が死ぬなど重大事件のときに表に出るものだ」と話したという。

どういうシチュエーションで出た話なのかわからないが、イジメが重大事件じゃないほど頻繁な学校なのか。
 私の中学の田舎教師は生徒への暴力がひどかった。 それが校長になっていたのだから、日本の教育に関わる人事評価制度が腐っていることを思い知った。 教育というより、調教に近かった。 だから、精神論を持ちだして、国家向上への忠誠を、国家命令への服従にすり替える教育は唾棄すべきだと考えている。

2015年1月14日 (水)

親を見限る条件

誰も少年を助けなかった 祖父母殺害し強盗、懲役15年
http://www.asahi.com/articles/ASH16778VH16UTNB01F.html

いわゆるモンペ(モンスターペアレンツ)で、それが犯罪者級だったということ。
 児童相談所に出向いて施設に保護してもらい、生活保護をもらいながら学校に通うということが望ましいが、浪費し金を無心する親との接触を禁じられることになる。 「自分の親を捨てられるか」というのがネックになったのだろう。 100%憎める親なら容易いのだろうが、そうはいかない。 たぶん、親が餓死や自殺するところを見たくないという一面もあったはず。 児童相談所は、あくまで児童保護が目的であって、その親の面倒までは見ないからだ。
 生活保護さえ用いられない養育能力のない親は準障害者として扱うべきだと私は考える。 国の人権意識を少し改めるべきではないだろうか。 以前から私が心配しているように、高卒の時点でどう考えても犯罪者にしかなれなさそうな者が多くおり、実際その通りの世相を示している。 子どもの親として相応しくないにもかかわらず、避妊もせずに子どもを産むのも想定内だ。 学校はその実態に適応できずに、他の子との家庭環境のあまりの違いにオロつき、手からこぼれた子どもをいなかったものとして扱う。 これで先進国と言えるのか。 まだどこぞの部族社会が残っている国家の方が子どもには優しいというものだろう。 学校で「どういう場合に親を見限るか」という条件を子ども全員に教えるのは不適切なのかもしれない(道徳の授業で教えられない)が、それを必要としている子は確実にいるのだ。

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