信仰・宗教

2019年3月30日 (土)

イスラム布教の果て

不倫と同性愛行為は投石死刑 窃盗は手足切断 ブルネイ:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM3X6392M3XUHBI02G.html

 カリフが途絶えてからイスラム教は、コーランに基づく解釈に絶対性を帯びるようになった。 また、解釈の差異は宗派間で互いに殺し合うほどに拡大した。 穏健なイスラム教徒・国家であっても時代・為政者が変われば、いつ原理主義に転ぶかわからない。
 必要悪を一切認めない思想というのは、人口に余裕があって、教義教条から外れた者を殺しまくっても国力に影響が出ないことを示している。 そのためには、国民を低所得のままに数を維持できる経済体制にしなくてはならない。 多くのイスラム教国において、スラム街もしくは清貧なたたずまいの家屋の密集地が存在するのは、そういうことだと思う。 常に何らかの敵味方に分かれるリソースを豊富に用意しておいて、マジョリティの正統性を印象付けるのだ。
 だがこれを究極的に突き詰めると、つまり、世界中がイスラム教徒になったとき、逃げ場を失った触法者や異端者は確実に殺され、今まで以上に血生臭い世界となる。 それだけではない。 増やし続けた人口が持続可能な限界を迎える。 潔癖を求める原理主義が、実は狩られる触法者や異端者の存在なしにはバランスを欠いて成立しえない。 正統後継者を失った宗教では、未来永劫、平和な世界などやっては来ない。
 ここを読んで、宗教間闘争・宗教差別を煽るようなことを書くなと思われるかもしれない。 だが、宗論を戦わせることせずして、邪教の抑制はもちろん、宗教の価値を知る機会もありはしない。 競争を一切無くした平等主義では向上は見込めないのは経済に限った話ではない。 望むなら、価値そのものの平等化ではなく、価値評価や評価機会の公平だろう。

2019年3月17日 (日)

宗論を阻むもの

8年前の本、NZ乱射に影響か 「移民の脅威」あおる:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASM3J66V7M3JUHBI02T.html

>ルペン氏は過去に「移民は(フランス人に)取って代わるという目的を持ってやって来ているのではないか」と述べていた。

 それは、アフリカを初めとした世界に白人を君臨させようとして、逆襲・独立された過去が自分らにあるから、同じことをされるのを恐れているだけだろう。

>ノルウェーでは11年、「欧州をイスラムから救うため」として、銃を乱射するなどして男が政党関係者ら77人を殺害するなど、過激な主張に感化された事件も起きた。

 イスラムから(だけ)守ればよいと考えているわけではなかろう? 自分ら(の宗教であるキリスト教)がすべてに勝っているとの考えが透けて見える。 宗教とは、より優れているものを残せばよいと私は思う。 ただし、宗教の伝統尊重は演繹的な結果論であって、宗教の品格や価値を合理的に証明するものではない。 仏教からすれば、イスラムもキリストも因果応報を否定する外道に他ならない。 守るべきものが何であるのかを念慮から外して、守ること自体を貴い使命のように吹聴するのは、とてつもなく危険だ。 少なくとも宗教は、テロリストの免罪符であってはならない。 宗論ができないのは、非合理的な教条や戒律の原理主義的な信奉による断絶のため。 そこは科学や世俗社会が明確に否定すべき部分ではないか。 聖書やコーランを修正せよと私は訴えたい。 そうでなければ、話し合いのテーブルにも着けない。

2019年3月15日 (金)

安易なイスラム戒への賛同

【地球コラム】外国人労働者増加で浮上するイスラムの「食」問題:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031400886&g=int

 まずハッキリ言っておきたいが「信教の自由」と「宗教の平等」は違う。 宗教活動のうち経済合理性の無いものについては、協力してやる理由はない。 聖書やコーランに記載されているというだけで、金科玉条として従う姿勢が原理主義を生む根っこになるということを、夢々忘れるべきではない。 大きな代償を払って世俗化を進めるイスラム国もあることを考えれば、安易にイスラム戒律に賛同するのはNG。 仮に一時感謝されたとしても、力を付けた彼らがこちらの宗教や信教を脅かすことになるのは必然だろう。

2019年2月23日 (土)

自意識過剰

臨済宗と曹洞宗「禅宗にしないで」 教科書5社に依頼
https://www.asahi.com/articles/ASM2P622DM2PPLZB015.html

 自分の首を絞める自意識過剰の典型かな。 マイナーなのは教科書のせいなのか。 『禅』に比べて『臨済』や『曹洞』が何を意味しているのか、一般者にはさーぱりわからんのに使わせようとしたがる。 ちなみに黄檗宗はどうするのかね? この結果、さらなる宗勢の低迷を招きかねないと思うんだが。
 他宗の宗旨名が、あの世や経巻や開祖や寺名にちなんでいるのに、さも意味不明な言葉で高尚さを醸したがるのは禅宗らしっちゃ禅宗らしい。 だがそれはトンチでなくトンチンカン。 成仏手段として経巻を用いないせいで、さらなる難解語を編み出したんじゃ本末転倒。 禅定だけで仏を悟れるなら、苦労はない。

2019年1月21日 (月)

こだわりへの違和感

「戒名で性別分かってしまう」性的少数者を仏教界も尊重:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASM1L5GMMM1LPTIL016.html

正直言って、LGBTの右往左往ぶりや勘違いがひど過ぎて馬鹿らしい。

 人は来世でも現世と同じ心の性を持とうとするものだと思っているなら、もはや性の偶像化、無い物ねだりの妄想だよ。 一般のノーマル人は来世なんて男でも女でも構わないと思っている人は結構いる。 性自認は、生後の文化的環境に依存して後天的に植え付けられたものだと思う人は多く、そういう人は自発的にこだわりを維持しようとは思わない。 つまり、男は女ではない何かに過ぎず、女も男ではない何かに過ぎない。 そこに第三の性を持ち込んでも構わないけど、「だからどうした」という感しかしない。 まず、たった一人のパートナーさえ見つかれば良いと思っているのか、全世界の異性からもてたいと思っているのか、今一度自分のしたいことを見つめ直してみるべきだ。

 あと、死んだ後も秘匿することが名誉を守ることになるのだと思っているなら、それはおそらく日本人だからであって、LGBTだからではない。 アメリカ人なんかは、おそらく墓場までは秘密は持っていかない。 個人を大事にする国では、家族に迷惑がかかるなどということは考えない。 LGBTは心の病だから、家族ぐるみでヤバイと陰口をたたかれると、日本人は考えてしまうんだろうかね。 隣組とか連帯責任みたいな一蓮托生の解釈が強すぎるんだよ。 奔放な性と揶揄されることを恐れて、その反動で秘匿主義に陥るのは、馬鹿らしいと思う。 とくに今の時代、空気を読めという同調圧力が強いし、賛成でも反対でも例外を認めない雰囲気を作って事を進める連中が幅を利かせる。 それが当たり前だと思わないことだ。

2018年12月16日 (日)

混ぜるな危険、宗教と政治

首相の支持基盤、揺れる神社界 総長反発「改憲潰しだ」:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASLCY52X9LCYULZU00P.html

 なぜ神道が政治に口を出すのか。 それもなぜ9条改憲を企むのか。 敗戦によって一度は国家への干渉を断たれたかのように見えた神道が、靖国を足がかりに再び国家神道の復活を目論んでいるのは、わからんでもない。 しかし、なぜ9条まで憎むのか、そこに至る理由が無い。 日本が軍事政権になれば、国民のテリトリー意識は強化され、神道による人心支配と相まって鎖国が誕生する。 だが島国の国境の壁なんぞ、誰が望むだろうか。
 神職が天皇を血縁で縛り囲って傀儡化させ、その威光を利用して国民を狂気に駆り立てる。 日本の歴史だ。 彼らにとっての平和とは、兵力による平定後の特権を持った人間が君臨する世界に他ならない。 布教したいなら、好きなだけやるがいい。 しかし、政治権力を利用しての信教強制は神力のよるところではない。 むしろ、天や因果応報を待てずに自ら手を下すしかないのは悪鬼羅刹の入れ知恵だろう。 それは共産党という名の独善集団と大して変わらない。 「神仏を否定した人間の最高峰」と「神仏から託された特別な人間」と、どちらがマシかというより、どちらも御免こうむりたい。
 ちなみに保守と呼ばれる政治家が神道に属する理由は、テリトリーを絶対善とした国粋主義者か、国の行く末より人気を追った利己主義者が大半だと知るべきだ。 少なくともこの2者を見極めて排除する仕組みが、自民・維新には存在しない。 利己主義者による平和とは、戦争を経験し争いに飽きた人が過半数存在するわずかな時代に過ぎず、煽ってみたら壊れる程度の存在なら維持する気もないのだろう。 どんな時代でも生き抜くためにタブーや自制なぞ設けない、変節する連中だ。 普遍性を求める宗教とは本来、混ぜてはならない。

2018年12月 7日 (金)

欧米メディアの薄っぺらい信教自由

焦点:ミャンマーの堕ちた偶像、スー・チー氏に若者世代が反旗
https://jp.reuters.com/article/myanmar-activists-idJPKBN1O40S3

 ロイターが自ら掲載した写真の通り、デモ行進と言っても数十人。 ほとんどのミャンマー人がロヒンギャに否定的なのに、若い世代が反旗を翻したなどと報じるのは現地人にとって捏造以外の何物でもないだろう。 この記事を読んだ欧米人や日本人の人権意識を喚起させるための嘘に過ぎない。
 結論有りきで宗教カオスを生もうとする欧米メディアは、自国においては古臭い伝統極右やら国粋主義という亡霊を呼び覚ましてしまう不本意な結果を引き起こしている。 信仰の自由はあくまで普遍的な社会契約を満たす範囲内で認められるべきだ。 末端信仰者によって原理主義に陥ったり勝手解釈されやすいイスラム教に厳しい目が注がれるのは必死というもの。 しかしそれにもかかわらず、均衡を取るのが正義だとやみくもに信じて疑わないジャーナリストによって歪められがち。 ロヒンギャが自ら代表者を持ち交渉にあたっていたならば、ここまでひどい仕打ちはなかったと思う。 だが現実には、彼らは自らの統率と他者との融合和解への努力を怠ってきており、命までは取られないとしても報いを受ける立場にある。
 本来的に宗教は命の救済のためにあるもので、布教のために命を奪うのは自己矛盾・本末転倒である。 逆に命を救えない仏力・法力・神力無き宗教はその存在価値を疑われ、居場所を追われ、淘汰の対象とされるのは必然。 もし狭小に自力・科学力だけを頼みとするならば、それはそれで共産主義・独善主義に陥る。 メディアが取るべき真のバランスは、基本的人権を超えた過剰な保護を正義とすることではない。 滅びゆく存在の中にも秩序が必要な場合があり、報道にはその手助けをするに留める役割もあると知るべきだ。

2018年12月 3日 (月)

ゲスいアイデンティティー

ムスリム難民に反発する韓国社会 「キリスト教に改宗したら受け入れ」:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3199914

 仏教や儒教じゃダメらしい。 単にイスラム教を捨てて無信仰になるだけもダメらしい。 イスラム教に由来する過激活動やテロが心配というだけなら、キリスト教徒に改宗する必要はない。 ちなみにヒトラーはキリスト教徒だ。 ただし、キリストをユダヤ人ではなくアーリア人だと信じていたという。
 米国型のプロテスタントが普及している韓国だが、そもそも彼らは教会単位で好き勝手をする牧師が多くて、新興宗教化しやすい傾向にある。 一方でカトリックは古式ゆかしき悪臭を放つ。 ローマ教皇は慈悲を垂れよと表向きは喧伝するが、実際は保守的な枢機卿ら間に入るので何も改革されず、未だに十字軍やら騎士団の妄想にふけ、性搾取が止まない。
 日本製のネットゲームでは現実の特定宗教色を消すが、韓国は平気でキリスト教を組み込んでくる。 まるで、キリスト教の起源や約束された地は韓国にあるかのようにね。 集団催眠やヒステリーに浸かりやすい連中に、選民思想は渡りに船でもってこいなのだろう。

2018年11月23日 (金)

過救済と亡霊

あのハプスブルク家が今も?騎士団“復活” のなぜ|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1121.html

「ヨーロッパのどの国を歩いても、街の中心には教会がある。キリスト教に基づく文化と価値観こそ、ヨーロッパのアイデンティティーだ。これを守らないと、ヨーロッパは消滅する」

現代に現れたハプスブルクの騎士団は忌まわしき過去の亡霊なのか、あるいは新しいヨーロッパの足音なのでしょうか。

亡霊に決まっておろうが。 現代における問題ではキリスト教は何ら答えを持ち合わせていない。 それなのにイスラムテロや移民という外敵侵入を機会に、これ幸いと布教に弾みをつけている。 なんでも変革を是としがちな大衆は、普遍性の検証などはいい加減なものだ。 イスラム教国は言うに及ばず、ロシア正教もクレムリンに足しげく出入りして国粋化を煽り、経済停滞から目をそらさせる。 日本人も鎖国化の拠り所をすぐ国家神道に求めようとする。 連中はいつしか先制攻撃も神はお許しになると唆すことだろう。 様式美にとらわれ、先祖返りのまま前進しないなら、伝統はただの諸刃の剣に過ぎない。 

2015年2月20日 (金)

完全排他思想下では布教は進まない

イスラム教の最大の欠点は、組織統合されていないこと。 カリフという血族伝承が途絶えたのち、正統性を維持する教団も分裂・崩壊した。 キリスト教プロテスタントがローマを離れて聖書に典拠するように、イスラム教徒もまたコーランに行動原理を求めるようになった。 シーアとスンニと2つの区分はあるものの、さらにその中身はバラバラである。 法解釈は、現実解を求めて変遷・変節が甚だしい上に徹底されない状態。

「日本人は兵士ではない、殺すな」仲介役が説得
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150219-OYT1T50101.html
ヨルダンのイスラム法学者アブムハンマド・マクディーシ師が、ヨルダン政府の依頼で「イスラム国」との交渉

コラム:イスラム世界が嫌悪する焼殺映像の「残虐性」
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN0LA0GJ20150207
エジプトのカイロにあるイスラム教スンニ派の最高権威機関、アズハル大学
カタールでは、著名法学者ユースフ・カラダーウィ師が率いる国際ムスリム聖職者協会
イエメン南部で要職に就くシェイク・フセイン・ビン・シュアイブ師

イスラム学者がテロ否定の宗教令、過激派の自爆テロを糾弾
http://cnn.co.jp/world/CNN201003040009.html
イスラム学者のムハンマド・タヒル・カドリ氏「自爆テロを行った者は地獄に落ちる」との解釈

 ムフティー(ファトワを出せるイスラム法学者)はいるが、統率者ではない。 周囲さえ説得できれは自称できる(そもそも最高権威なら自称するしかない)。 論者であっても実行者として責任を果たさないことがほとんど。 聖地メッカのあるサウジアラビアも言ってみれば墓守であって、政府見解は他のムフティーと同様に影響力は限定される。
 イスラム圏の国では政府と教団が分離していないため、宗派の争いが国を巻き込んだ戦争へとつながりやすい。 つまり、同じ教義でも国の分だけさらに宗派が分かれる。 国に取り入って権力を握る行為が自宗派の越境布教や統率性の妨げになるとは、皮肉なものだ。 日本も国家神道を進めれば進めるほどに、他国・他宗との断絶感が際どくなるのは間違いないだろう。

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